公開仏教講座(R1.5.20)

2019年 5月 27日
  • 前回に引き続き、二階堂行壽氏(東京教区・専福寺住職)を講師にお迎えした「真宗大谷派奥羽教区秋田県北組」主催の「公開仏教講座」。今回の講題は「死苦」~世の非常を悟る・死すということ~。
    今回もまたたくさんの門徒の皆様、市民の皆様が参加され、講師のお話に熱心に耳を傾けていらっしゃいました。

    「死」があって「生」がある。
    「死」があるから「生」が始まる。

    様々な苦しみの本質は自分の思い通りにならないことが発端である。死の苦しみもいつ、どのように死ぬのか、死んだらどうなるのかがわからないから苦しく不安である。四苦の中で老苦、病苦は経験談を聞くことができるが、死苦だけは経験者から聞くことはできない。

    葬儀の場、騒いでいる孫がいた。故人(おじいちゃん)の体に触れた数分後突然に泣き出す孫。それまで騒いでいたのが嘘のように泣き止まない。
    言葉で伝えるのではなく、肌で悲しみを感じて死を学ぶ。これも一つの教育の形である。

    死への不安を取り除くには死を見る、感じること。家族がどう生き、どう死んだのか。その生きざま、生き方から学ぶことができる。

    人は何でもはかりたがる、比べたがる生き物である。はかることで生活している。
    勝・負、優・劣、損・得、上・下・・・
    しかし、そのはかり方は自分が基準である。
    自分にとって損か得か。
    自分の方が優れているか、劣っているか。
    自分が勝ったか、負けたか。
    その自分の考えている基準を問いただしていく「鏡」が経教である。
    経教(きょうぎょう)とは・・・経典に示された教え。
    放っておくと自分の都合に合わせて考えてしまう私たちにそれでいいのかと問いかけて下さるのが聞法の場である。






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